どりおの介護・社会福祉士ブログ

介護・社会福祉士について思うこと

「高齢者」という、都合のいい物語

 

 

最近、「高齢者の医療費が多すぎる」「現役世代の負担が重い」といった言葉が、ずいぶんと聞きやすくなった。まるで、社会保障の歪みの原因が“高齢者そのもの”にあるかのような語られ方である。

 

なるほど、分かりやすい。問題の所在を一つにまとめ、誰かに背負わせる方が議論はシンプルになる。複雑な制度設計や、長年の政策判断の積み重ねを振り返るよりも、「あの人たちが多いからだ」と言ってしまう方が、よほど楽だ。

 

しかし少しだけ立ち止まってみたい。

 

いま「負担が重い」と言われている高齢者たちは、かつて高度経済成長を支え、税や保険料を納め続けてきた世代でもある。社会を作り、維持し、その結果として今の制度がある。言い換えれば、現在の仕組みの“前提”を築いた人たちだ。

 

それでもなお、「生産性が低い」「医療費がかかる」といった言葉で語られるとき、そこには人ではなく“コスト”として扱う視線が透けて見える。今の殺伐とした時代には、ドンピシャの意見。

 

もちろん、制度の持続可能性を考える議論は必要だ。だがそれは、本来「誰かを切り分ける話」ではなく、「どう支え合う構造にするか」という話のはずである。

 

むしろ皮肉なことに、人は例外なく年を重ねる。今、高齢者を“負担”と呼ぶその視線は、数十年後、ほとんどそのまま自分に返ってくる。なので、こういう人は、自分に跳ね返ってくるに違いない。

 

それでもなお、「高齢者が問題だ」と言い切れるのだとしたら、それはよほど便利な立場にいるか、あるいは想像力を少し休ませているのかもしれない。

 

社会福祉の視点から見れば、問われているのは世代の優劣ではない。分断を選ぶのか、連続性として社会を捉えるのか。その姿勢そのものだ。

 

そして、我々は、社会福祉士の意義を持たせるため、発信を続けることが大切。

「最近、人との関係が薄くなった気がする」そこでの社会福祉士という役割

 

つながらない時代に、つながりをつくる仕事

 

― 社会福祉士という役割 ―

 

「最近、人との関係が薄くなった気がする」

 

そんな感覚を持つ人は、少なくないのではないでしょうか。

 

現代は、ひとりでも生活できる便利な社会です。

連絡はスマートフォンで完結し、買い物も人と会わずに済む。

 

けれどその一方で、

人と人との関係性は“見えにくく、切れやすいもの”になっています。

 

 

孤立は“特別な人の問題”ではない

 

社会福祉の現場では、「孤立」は大きなテーマのひとつです。ゴミ屋敷や身寄りのない人の対応(身上監護)。

 

ただし、それは一部の人だけの問題ではありません。

 

仕事をしていても、家族がいても、

ふとしたきっかけで人とのつながりは途切れてしまう。

 

つまり孤立は、誰にでも起こりうる

**“社会構造の中で生まれる課題”**です。

 

 

支援から“関係性”へ

 

 

これまでの福祉は、生活課題に対してサービスを提供すること、

いわば「支援」が中心でした。

 

しかし現在のソーシャルワークでは、それだけでは不十分とされています。

 

重要なのは、

**人と人、人と地域をつなぐこと(=社会的包摂)**です。

 

制度につなぐだけでなく、

「この人がこの地域でどう生きていくか」という関係性そのものに関わる。

 

ここに、現代の社会福祉士の専門性があります。

 

福祉の出店がひらく、新しい関係

 

 

最近では、福祉の中で出店が注目されています(パンという食品を作り、販売するなど)。

 

一見すると福祉とは遠い存在に思えるかもしれません。

ですが実は、出店には大きな力があります。

 

言葉にできない思いを表現できること。商品説明など。

そして、それを通して他者とつながれること。

 

たとえば、これまで社会参加が難しかった人が、

作品づくりをきっかけに誰かと話す。

 

そこには「支援する側/される側」という関係ではなく、

対等な関係性が生まれます。

 

これは、社会福祉でいう

**エンパワメント(その人らしさの力を引き出すこと)**にもつながります。

 

社会福祉士は“間にいる人”

 

 

では、社会福祉士は何をしているのか。

 

それは一言でいうと、

**「つなぐ仕事」**です。

 

・本人の思いを引き出す

・制度や社会に橋渡しする

・人と人の関係をひらく

 

専門職でありながら、前に出すぎず、

でも確かにそこにいる。

 

いわば、関係と関係の“あいだ”に立つ存在です。

 

小さな関係が、社会を変える

 

関係性というと、何か特別なものに感じるかもしれません。

 

でも実際は、もっと小さなものです。

 

少し話を聞くこと。

名前を呼ぶこと。

同じ時間を共有すること。

 

そうした積み重ねが、孤立を防ぎ、

「ここにいていい」と思える感覚をつくっていきます。

 

 

おわりに

 

 

関係性が希薄になった社会は、たしかに生きやすい面もあります。干渉されない。自由になれる。

けれど同時に、人が見えにくくなる社会でもあります。それは、仕方ないです。治安が悪いので。

 

だからこそ今、求められているのは

**“支援”だけではなく、“関係をつくる力”**です。

 

社会福祉士は、その最前線で

人と社会をゆるやかにつなぎ続ける存在です。

 

そしてその一歩は、

案外、日常の小さな関わりから始まるのかもしれません。

 

 

社会福祉士 『社会という世の中で支えるとは何か』

社会の中で「支える」とは何か

 

世の中は一見バラバラに見える話題が並んでいる。しかし根底には共通する問題がある。それは、「人と人とのつながり」や「社会の中で支え合うことの意味」である。

 

現代社会では、個人の生活スタイルの多様化や価値観の変化が進み、従来の家族や地域による支え合いの機能が弱まっている。その結果、孤立や生活困難を抱える人が見えにくくなっている。これは社会福祉においても重要な課題であり、支援のあり方そのものが問われている。

 

社会福祉の基本には、「本人の尊厳」と「自己決定の尊重」がある。しかし実際には、すべての人が自ら助けを求められるわけではない。むしろ、困難を抱えているにもかかわらず、声を上げられない人や、支援を拒む人も少なくない。このような人々に対して、どのように関わるかは、現場における大きな課題である。

 

ここで重要になるのが、地域における見守りや関係性である。地域住民、関係機関が日常的な関わりの中で変化に気づき、必要な支援につなげていくことが求められる。これは単なる制度の活用ではなく、人と人との関係性に基づく支援であり、社会福祉の本質ともいえる。

 

また、支援を行う際には、専門職の価値観や「正しさ」を一方的に押し付けるのではなく、本人のこれまでの生活や価値観を理解する姿勢が不可欠である。一見非合理に見える選択であっても、その人にとっては意味のあるものである場合がある。こうした視点は、権利擁護の観点からも重要である。

 

さらに、支援は一人の専門職だけで完結するものではない。医療、福祉、行政、地域など、多様な主体が連携し、それぞれの視点を持ち寄ることで、より適切な支援が可能となる。これは現代の社会福祉において不可欠な「多職種連携」の考え方である。

 

今後の社会においては、特定の対象者に限定した支援ではなく、地域全体で支え合う包括的な仕組みが求められる。そのためには、制度の整備だけでなく、日常的な関係性の構築や、互いに関心を持ち合う文化を育てていくことが重要である。なので、地域主催の体操や習い事はその人の社会での役割といったもので絶対に意味がある。

 

誰もが支える側にも、支えられる側にもなり得る社会の中で、「どのように関わるか」が問われている。社会福祉とは、特別なものではなく、日常の中にある支え合いの積み重ねであるといえる。

「大丈夫です」が一番こわい

「大丈夫です」が一番こわい

成年後見と現場のリアルの話をミーティングで話し合いしていると、いろんな話が出ます。

 

高齢者の生活のこと、家族のこと、お金のこと。

一見すると普通に暮らしているように見えても、実はギリギリ…なんてケースも少なくありません。

 

その中で、最近よく感じるのが

「成年後見制度につながる人、増えているな」ということです。

 

 

でも、ここで一つ問題があります。

 

それは

「本人が困っていると思っていない」ケース。

 

たとえば——

・お金の管理がうまくいっていない

・同じ契約を何度もしてしまう

・明らかに生活が崩れている

 

それでも本人は言います。

 

👉「自分は大丈夫です」

 

これ、本当によくあるんです。

 

じゃあ、この「大丈夫」をどう受け止めるか。

 

無理やり制度につなぐのは違う。

でも、放っておくと生活が破綻する可能性もある。

 

ここが、すごく難しいところです。

 

成年後見制度って、簡単に言うと

**「判断が難しくなった人の生活やお金を守る仕組み」**です(横領する士業する人もいるので、信頼しすぎはだめ。これはもう運)。

 

すごく大事な制度なんですが、実際にはそこにたどり着くまでが大変。

 

・制度を知らない

・手続きが面倒

・家族がいない

・本人が拒否する

 

こういう壁がたくさんあります。

 

 

だからこそ、成年後見の出番です。

 

日頃の関わりの中で

「ちょっとおかしいな」

「前と様子が違うな」

 

そういう小さな違和感を拾う。

 

そしていきなり制度の話ではなく、

まずは関係づくり。

 

雑談でもいいし、世間話でもいい。

とにかく「この人なら話してもいい」と思ってもらうこと。

 

ここがスタートです。

 

そこから少しずつ、

 

・地域包括支援センターにつなぐ

・福祉事務所と連携する

・必要なら成年後見の申立てへ

 

こんな流れになっていきます。

 

成年後見も市民後見も、いわば

**「制度と生活をつなぐ橋渡し役」**ですね。

 

 

ただ、もう一つ大事なことがあります。

 

それは

「守る」と「尊重する」のバランス。

 

成年後見は、本人を守る制度です。

でも同時に、本人の自由を一部制限する側面もあります。

 

だからこそ、

 

・本人はどうしたいのか

・本当に今、必要なのか

 

ここを丁寧に考えないといけない。

 

正解がない分、悩む場面も多いです。

 

 

これから高齢化が進む中で、

こういうケースは確実に増えていきます。

 

だからこそ大事なのは、

 

👉 早く気づくこと

👉 つなぐこと

👉 一人で抱えないこと

 

だと思っています。

 

 

「大丈夫です」という言葉の裏にあるものを、

どれだけ想像できるか。

 

これって、制度の知識以上に大事な力かもしれません。

 

 

手紙は高齢期の孤立を防ぐヒント

高齢者施設にいた入居者の方の話です。

長年の友人が転居し、離れて暮らすことになった。しかし二人は「手紙」で交流を続けているという内容です。

 

今はスマートフォンやSNSの時代です。連絡手段はいくらでもあります。

 

それでも、あえて手紙をやり取りする。

そこには、どこかゆっくりとした時間が流れているように感じます。そして、温かみがあります。ラジオでも、あえて、手紙で送る人もいます。その方が読まれやすいそうです。

 

社会福祉の現場では、「高齢者の孤立」がよく問題になります。

配偶者を亡くしたり、子どもが遠方に住んでいたりすると、人との関係が一気に減ってしまうことがあります。

 

そのときに大切なのは、

頻繁な交流”ではなく続く関係です。

 

たとえ月に一度でも、手紙が届く。誰かが自分のことを思い出してくれる。

 

それだけで、人は孤立から少し守られます。福祉制度やサービスも大切ですが

人と人のゆるやかなつながりも、同じくらい重要です。

 

手紙という少し古い方法の中に、高齢社会のヒントがあるのかもしれません。物理的に伝わる温かみもあります。

 

 

 

独居と社会福祉

 

独居高齢者支援に求められる「想像力」― 社会福祉実践の視点から

 

地域社会の中で誰かを支援するとき、重要な要素の一つは「想像力」であると感じる。とりわけ、独居高齢者の生活実態は外部から把握しにくく、生活上の課題が潜在化しやすい。

 

例えば、食事摂取の状況、体調不良時の対応、日常的な対人交流の有無など、生活機能や社会関係の維持状況は、表面的な観察だけでは把握が難しい。こうした状況を理解するためには、生活環境や社会関係資本を含めた**包括的アセスメント(生活アセスメント)**の視点が求められる。

 

社会福祉実践においては、単に制度やサービスを提供するだけでは十分とは言えない。利用者の生活歴、価値観、心理的側面を踏まえながら、個別性に配慮した支援計画の立案と社会資源のコーディネートを行うことが重要である。

 

しかしながら、独居高齢者の中には、「周囲に迷惑をかけたくない」「まだ自分で生活できる」という思いから、生活上の困難を抱えていても援助要請行動(ヘルプシーキング)を控える傾向が見られる。これは高齢者支援の現場において、しばしば指摘される課題である。

 

そのため、支援の実践では、本人からの相談を待つだけでなく、アウトリーチ型支援や地域における見守りネットワークの構築が不可欠となる。地域住民、民生委員、社会福祉協議会、行政機関、医療・介護専門職などが連携し、地域包括ケアシステムの枠組みの中で多職種連携を図ることが求められる。

 

このような支援の出発点となるのが、「生活上の困難が潜在している可能性」を想定する専門職としての想像力である。これは単なる感情的共感ではなく、利用者の生活構造や社会環境を理解し、適切な社会資源へとつなぐための**専門的感受性(プロフェッショナル・センシティビティ)**とも言える。

 

独居高齢者が地域社会の中で尊厳を保持しながら生活を継続するためには、制度的支援だけではなく、地域全体による支え合いの仕組みが必要である。その基盤となるのが、住民・専門職・行政が共有する地域共生社会の理念であり、その実践の第一歩としての「想像力」ではないだろうか。昔は、隣近所の付き合いがあったが、今は、ない。それに多文化共生という聞こえはいいが、治安悪化がある。安易に自己開示できないのも納得。昔に戻すは、おそらく次の世代まではかかるだろうと個人的には思う。

なぜ自分は成年後見人になるのを躊躇するのか

なぜ自分は成年後見人になるのを躊躇するのか

 

 

― 現場から見える担い手不足の理由 ―

 

成年後見の担い手不足が、よく話題になります。

 

そのたびに聞こえてくるのが、

「社会福祉士がもっと受任すればいい」

という声です。

 

確かに社会福祉士は、制度上、成年後見の担い手として期待されています。

 

しかし、現場の実情を知ると、そう簡単な話ではないと感じます。

 

私自身の経験を少し書いてみます。

 

一見公平に見える仕組み

 

私の地域の社会福祉士会では、成年後見の案件は特定のメールで一斉配信されます。

 

そこには複数の案件が並び、受任できる人が応募する仕組みです。

その後、審査を経て受任者が決まります。

 

一見すると、とても公平な仕組みに見えます。

 

しかし、実際の現場では少し違う景色が見えてきます。

 

負担の少ない案件はすぐに埋まる(資産あり、身元保証あり、死後業務のある程度見込みあり→お墓維持費や永代供養など)

 

 

比較的負担の少ない案件は、ベテランの社会福祉士が早く受任してしまうことが多いのです。

 

これは責められることではありません。

経験があり、対応力のある人が受けるのは自然な流れです。

 

しかし、その結果としてどうなるか。

 

新人の社会福祉士には、なかなか案件が回ってきません。

 

私自身も、負担の少ない受任募集に応募しましたが、三回断られました。

 

その後、地域の統括者から案件を提案されましたが、

それは新人が最初に受けるような内容ではありませんでした。

 

かなり難しい案件でした(生活保護→これは言い換えると、報酬をもらうのに成年後見利用支援事業の申請をしないといけなくなる。仕事をする側がわざわざ申請するというおかしなことと個人的には思ってます)。

 

結局、私は一身上の都合で途中辞任することになりました。

 

新人に残る案件

 

では、新人に回ってくる案件とはどのようなものか。

 

多くは次のようなケースです。

 

・独居で支援者がいない

・身寄りがない

・生活保護

・資産がほとんどない

 

つまり、支援の難易度が高い案件です。

 

新人の「最初の一件」が、いきなり重いケースになることも珍しくありません。

形だけのバックアップ

 

自分の所属する社会福祉士会には新人を支援する「アドバイザー」がいることになっています。

 

しかし、少なくとも私の場合、アドバイザーからの連絡は大まかなもので、十分なサポートを受けているとは感じられませんでした。

 

もちろん個人の問題というより、仕組みの問題なのかもしれません。

 

都道府県の社会福祉士会のバックアップ体制が、十分に機能しているとは言い難いのが実情ではないでしょうか。

 

こうした状況の中で、

 

「成年後見の担い手不足です」

「社会福祉士はもっと受任しましょう」

 

と言われても、二の足を踏む社会福祉士が多いのは自然なことだと思います。

 

担い手不足の原因は、必ずしも「やる気」の問題ではありません。

 

制度の設計そのものに課題があるように感じます。

 

本当に必要なこと

 

 

成年後見の担い手不足を解決したいのであれば、

 

まず必要なのは、

 

新人が安心して最初の一件を受任できる仕組み

 

ではないでしょうか。

 

例えば、

 

・新人には比較的負担の少ない案件を優先的に配分する

・経験者と組むチーム後見

・実務に踏み込んだ伴走支援

 

こうした仕組みがなければ、担い手はなかなか増えないと思います。

 

成年後見制度を支える人材を増やすためにも、

まずは現場の実情に目を向けることが必要だと感じています。今現在、自分は受任はしてませんが、会合を出てみると、変化ないです。今でも、私個人は成年後見人をしたいと思わないです。一方で、するという方もいます。自分の経験を語ってるので、参考になさってください。

(成年後見の利用者数の推移は令和元年は22万で、令和6年は25万です。これを多いか少ないかはどう思いますか❓)