どりおの介護・社会福祉士ブログ

介護・社会福祉士について思うこと

介護士の心身の守り「あえて無策」という戦法をとる

 

 

 

 

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介護士の多くが日々疲れを感じている。そしてその疲れを様々な工夫で乗り越えている。趣味とか。だが、慢性的な疲れが存在する。人間関係だ。慢性的と考えると疲れと共にするのもありなのではないかと思う。嫌と考えるからきついのだ。逆説的に考えてみよう。

そう考えるときは、自分の力では、どうしようもできない時である。一例は、上司との隔たりである。どうにかしようとするから疲労になるのだ。例えば、私利私欲しかない上司に何をいっても変わらない。なので言わないでおく。自分の意見を言わないや距離を置くという逆をとって見る。決して諦めるということでない。自分の力ではどうもこうもできないのだ。できない事をやろうとするからストレスになるのだ。極端なことをいえば、子供に車を持ち上げてくださいといってることと同じことなのである。そうやって見ると幾分、楽になるのではないかと思う。言いたいけど、言えない時期とかある。つまり、言い分は、心にしまい、しかるべき時に言うと言う戦法である。

その根底にあるのは、縦社会の在り方である。そこに話し合いはない。それが今日の疲労に深く影響を与えている。そのことが肉体労働の介護士疲労を与えている。それと競争社会も影響にあるのではないか。成果を上げるために、戦いが繰り広がれる。企業では、あるが、介護・福祉でも同じようにある。「空きベットを作るな。満床にせよ」ということである。それが、うつ病燃え尽き症候群という心の病が引き起こされるのであろう。

そういった縦社会+競争社会において具体的対策は、あえて何もしない。それが対策である。無策ではないのだ。あえて無策にしてる。自分の心を守るには時にこういった考えも大切ではなかろうかと言う今日この頃である。

ウクライナの平和を祈ります。